このウェブサイトについて

舞台藝術の批評に専門的に携わる者として第一の責任は、こう言ってしまえば当たり前のようですが、やはり「自分がどう見てどう考えたか一切忌憚なく表明することにある」と考えます。けれども、能・狂言や歌舞伎などマニアックともいえる古典演劇のジャンルでは、実際なかなかそうなってはいないことが多いように思います。その理由は、一つには、古典演劇に関する個人の意見を私的にではなく公的に発表する場が少なく、二つには、一般演劇と違って特殊な社会ゆえ演者と評者の距離が縮まりがちで、これらの理由から、ただでさえ数の限られる専門批評家がそれ相応の覚悟を自覚し続ける緊張を保ちにくい点にあるような気がします。

能・狂言は、本質的に閉鎖的な性質を持つ特異な演劇ジャンルです。観客の数が極めて限定されることがその原因のひとつでしょう。定員627人の国立能楽堂で1回限りの公演を持つ能と、1,610席で25日の興行を打てば4万人以上の動員が可能な国立劇場での歌舞伎と、その比率は1:64。観客から発せられる意見は、能は歌舞伎に比べて単純計算で64倍の重みを持つ、とも言えるわけです。専門批評家の責任も、それに従って重大だと考えないわけにはゆきません。しかも、主催者のご厚意で招待券を頂き舞台を見ている身においてをや、ということになります。

先年惜しくも亡くなった能楽プロデューサー・荻原達子さんは、舞台に招かれたらできるだけ葉書を書いて感想を伝えるようにしていたそうで、尊敬すべき態度だと敬服しました。が、書簡の感想は私文書ですから、批評家としてはそれだけで責務を果たしたとするわけにはゆきません。毎月の能評を掲載する月刊紙『能楽タイムズ』は、ほぼすべての能楽関係者が直接間接に目を通すであろう点、現在唯一の稀少な公器ですけれども、当紙の月評は私を含めて6名の評者の輪番ですし、紙数にも限りがあり、接した全ての公演に触れるわけには到底ゆきません。

このたび、このウェブサイトを開設したのは、烏滸がましいようですが、能楽批評家として私の責務を果たすことにありました。

下世話なことを申しますと、私を含めて誰でも、その論理が正しかろうがそうでなかろうが、単純に、褒められるのは嬉しく、貶されるのは嫌なものです。自分のことでもそうなのですから、自分が愛するもの、良いと思ったものを否定する異論に接するのを不快に思うのは人情で、前述のように、観客数と演能の場が限定される密室的な能・狂言の世界に、そうした傾向は強いように思います。しかし、たとえば演者の私的メッセージを観客が手前勝手に受け取る秘儀的交流だけが能・狂言の公演であるとしたら、こんなに不健康かつ無意味なことはないでしょう。舞台藝術である以上、役者から発せられるものと、観客が主体的に感じ取り読み取るものと、時として摩擦をも生ずるその接点にこそ、能・狂言の成果が姿を現わすのだと思います。こうして私が書いた文章が、ひとたび人の眼に触れた時、私の個人的な経歴や内心に秘めた思いとは切り離した「文章そのもの」として受け取られるように、舞台もまた役者の思いに寄り添うかたちでのみ理解されるものではなく、演者の自意識とは別個の「舞台そのもの」として受け取られるべきでしょう。演者自身が気づいていないかもしれない部分にまで観客として分け入ってみるのは、時に批評の責務でもあります。誰しも自らの後ろ姿は見ることができません。そうした意味で、批評とは舞台藝術にとって不可欠な合わせ鏡であり、建設的かつ有益な刺激でなければならないと信じます。

ここで附け加えておきたいのは、「舞台人が舞台で演じた結果は、善悪によらず取り返しがつかない」ということで、これは宿命と言う以外ありません。同じように、「筆を持つ者は、ひとたび自分が発表した文章に責任を持つべきである」ということ、これまた当たり前だと思われるでしょう。ただ、現状そうとのみは言われません。現在、個人のウェブサイトやブログが盛行する理由のひとつに、改稿も削除も随時自在にできるメリットがあると思います。が、責任ある批評・評論にとってそれは必ずしも「メリット」ではない、むしろ安易にそうあってはいけないと、私は考えます。

ここに開設したウェブサイトの中心をなす批評の項、またそれとは別に寸評を集める「好雪録」の項は、ひとたび上網した以上、基本的に削除や改稿はしないことにしています。もちろん、私も人間ですから、極力それがないように努めても、事実誤認などの間違いを犯すこともあるでしょう。その場合は別項で訂正を述べることにして、舞台の役者と同様、執筆者としても「一回性」ということを大切にしたいと考えています。もっとも、雑誌や書物などでいったん文字になったものはそれきり取り返しがつかないのですから、ウェブサイトの記事がそうでないというのは、考えてみればおかしなことだと思います。

能や狂言はいささか特異だとはいえ、また揺るぎない価値あるものであるにもせよ、豊饒な舞台藝術のうち一つの分野に過ぎません。講座などでお話しする際、私は必ず、「能や狂言をより深く楽しもうとお考えならば、まず詞章を徹底して読み込み、実演の細部に至るまで可能なかぎり克明に見ること。同時に、能や狂言以外の藝術表現により深く接し、それについて筋の徹った批評・評論や研究書をたくさん読むこと」をお勧めしています。私も、能・狂言をよりよく見るために、またそれだけの功利的な意味ではなく、さまざまな藝術や表現に触れて思索を深めたいと思っていますので、これまでも散発的に論じ続けてきた歌舞伎芝居をはじめ、このウェブサイトを通じてさまざまな事象に関する「批評」の可能性を探って行きたいと思います。

あまり堅苦しい言挙げをするのも憚られるものの、一応はどこかで述べて置く必要もあろうかと考え、開設に当たって以上ひとこと申し上げました。

この数年来のいろいろな方々のお勧めとご助力なくして、こうした媒体の開設はとうてい思いも寄らなかったことです。いちいちお名は出しませんが、この場を借りてひとこと御礼を申し上げます。また、このウェブサイト全体のコーディネイトを担当して下さった濱田真一さんには格別の謝辞を呈したいと思います。

2010年12月27日 村上 湛

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